仕事から帰ってくると、隣の垣根から
何やら耳障りな音が鳴っていた。
その音は、かなり大きい上に、周波数的なものがあるのか、
「聞く人が聞いたら」かなり不快な音であるに違いない響きであった。
「ビーーーーー」と寸分の乱れもなく同じ音程で鳴り続ける音は、
住宅街といえども、夜は静けさが周りを囲むなかで、
ある種、かなりの異様さを放っていた。
その音は、丁度一昔前の「壊れかけの蛍光灯」の音を、
目いっぱい大きくしたようなものだった。
だが、その音を聞いたとき、私には心当たりがあったのだ。
時は、今から半年以上前にさかのぼる。
9月と言えども、まだまだ残暑厳しく、
夏の暑さがそのまま残る熱帯夜。
家からほど近い「桂川」に、鳴く虫をとりに行くのが
仕事帰りの日課であった。
はじめは、飼育している「カエル」の餌に、バッタやコオロギを
捕りに行っていたのだが、
いつしか、鳴く虫の楽しさに目覚め、
今や、鳴く虫を捕りに行き、飼育する事が目的になっていた。
秋の桂川は、鳴く虫たちのパラダイス。
松虫・コオロギ・ツユムシ・カンタン・・・
いたるところで虫の音が聞こえている。
コオロギやキリギリスが鳴くのは、自らの子孫を残すため。
メスをおびき寄せるサインになっている。
いや、「おびき寄せる」とは、聞こえが悪い。
彼らにとっては、最高の口説き文句なのだ。
そんな、求愛の言葉に集まってくるのは、メスだけではない。
虫の音の魅力にとりつかれた中年男である私も、
求愛の言葉を求め、夜な夜な河原へ出かけるのだった。
虫たちの寿命は短い。
秋の終わり、遅くとも初霜が立つ頃には、
ほとんどの虫たちは、死に絶えてしまう。
故に、この短い時期に、自らの子孫を残すべく、
必死に、そして一心不乱に鳴き、繁殖活動を行う。
一見、優雅に鳴いているように見えるが、その実は
、かなり切実なのである。
中には、鳴きに鳴き続けても縁なく、
「子孫を残す」と言う本能を全う出来ずに、
世を去るものも多いのではないだろうか?
そんな、あくせくした彼らを横目に、
優雅に食事を楽しむ鳴く虫達がいた。
―クビキリギリス―
夏の終わりに卵から孵ったこの虫は、
来たるべき冬眠に備え、体力を蓄えているのだった。
鳴く虫類にしては珍しく、このキリギリスは成虫で冬眠する。
名前の由来も面白い。
顎の力が強く、衣服などに噛み付いたこの虫を、
ムリに引き離そうとすると首が「スポッ」っと抜けてしまう。
この様から「クビキリギリス」と名前が付いたという説が有力である。
しかし、クビキリギリス、略して「クビキリ」とは・・・。
今のご時世ドキッとしてしまうのは、
サラリーマンの、悲しい宿命かもしれない・・・
余談はさて置き、まだ小さな彼らが、
我が家で冬を越すことになった。
他の虫たちが、天寿を全うして早2ヶ月。
灰色の空から雪がチラホラする日も、
気温が氷点下になり、水溜りに薄氷が張る日も、
時に枯葉にくるまりながら、彼らは静かに過ごしているのだった。
だが、そんなある日、彼がいないことに気がついた。
「出来るだけ自然に近いように飼う」為に、
プランターに、オオバコやツユクサを植え、
上をネットで覆った“自然とあそぶ”流の飼育容器は、
エンマコオロギの強力な顎によって
既にネットに穴が開けられていた。
応急処置で、ビニールテープを貼っていたのだが、
時の流れとともに、剥がれていたことに気がつかなかったのだ。
もうすぐ、春が来るっていう冬の終わりに・・・
やがて柔らかな日差しが、虫たちの家を覆い、
キリギリスやヒメギスの卵が孵り、新たな息吹が芽生える頃、
今日も「ビーーーーー」という音が、どこからとなく聞こえている。
鳴き声はすれど、姿は見えず。
そんなクビキリギリスは、必死に、
そして一心不乱に鳴き続けるのであった。
「子孫を残す」大切な仕事の為に。
それはさながら「壊れた蛍光灯」そのもであった。
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